Blog 体験記

カモメ・ラプソディ

はじめに

これは、ぼくが2011年の夏に実際に体験し、考えたり感じたことを書いたページです。自己紹介的な意図で書いていますが、できるだけ事実を忠実に正直に書くように努めました。

そのほうが、自分の事がよく伝わるからと思ったからです。

目次は、何かのタイトルのオマージュです。映画だったり、歌だったり、小説だったり。

限りなく直線に近いカーブ

昼休み。

ぼくはオイルと錆びのにおいがする鉄製の階段を下って、地上に降りた。

さっきまで乗っていた船のほうを振り返ると、ちょうど二人の船員が甲板に出てきたところだった。
いちばん上の甲板に立つその二人の目には、紙飛行機のように舞う数々のカモメの背が見えているはずだ。
カモメの背中を見下ろしながら、彼らはなにやらおしゃべりをしている。

反対にぼくはカモメのお腹を見上げながら、かつてあの津波に飲み込まれたことのあるこの港を歩いていた。

 

夏の仙台港。
港の敷地を出て少しすると、そこには線路が走っていた。
踏切から遠くまで伸びるその線路を見つめると、歪(ゆが)んでいるように見えた。

その歪みは震災のせいだったかもしれないしあるいは、地面から立ち昇る熱気のせいだったのかもしれない。

 


ミクロの世界まで目を凝らしてみると多分、全ての線路は「曲がって」いる。
真っ直ぐな線路はないし、真っ直ぐな物差しもない。
真っ直ぐな100メートルコースはないし、真っ直ぐな道路もない。
この世にはそもそも真っ直ぐな直線がない。

ただその事実を人間が見ていないだけし、見ようとしていないだけだ。

 

そして真っ直ぐな人も居ないのだろう。

岡本太郎が言ったように、人間はどこかが必ずひん曲がっているものなのだ。
しかも、絶望的な形に。

「そりが合わない」という言葉があるけれど、つまり人間は「反って」いるものなのだ。
その反りと反りがぴったりくる場合もあるし、ぶつかり合う場合もある。

とにかくその夏に、彼の「そり」とぼくの「そり」は出会った。

ぴったりきたのか、ぶつかり合ったのか。はたまた、そのどっちでもなかったのか。
最近、そのことを忘れそうになっている。
だから、覚えている今のうちに、すこしだけここのスペースを借りて書いておきたい気になった。そういうわけだ。

サッポロ・プア・ストーリー

拾ったタバコを吸うのは、存外にうまかった。

当時は浮世でまともな仕事する気などさらさら無く、半年前に数百万ほどあった貯金はあっという間に底をついていた。

 

財布をほじくり返すと131円。銀行口座の残高にはATMから下ろせない、はした金がいくつか。

はじめは自宅のごみ箱に捨てたシケモクを穿り出して吸うことをしていたが、やがてそれも無くなると路上に落ちた吸殻を探すようになった。

 

しばらくするともっと効率の良い手段を見つけた。もっと、ごっそりと吸殻を手に入れる方法。
それは近所の家の軒先にあった。そこに置かれた空き缶の中には、たくさんの吸い殻が入っていることがあった。パイナップルやウズラの卵などが入っていた缶。

家の中ではタバコを吸えない主人が、玄関先や軒先で一服した後の吸い殻をそれらの中に捨てるのだろう。その中身だけをくすねて、持ち帰って嗜む。

 


家賃はもう3か月ほど払っていない。不動産屋から携帯に着信履歴が十数件ある。渋々コールバックすると、「いつ払えますか」「親に連絡して払ってもらってください」等というのはまだしも、生活保護の受給を勧められることもあった。

 

ああ、このまま行けばホームレスかな。

どうしてこういうことになってしまったのかな。

金、金、金。金が欲しい。

まともな仕事をする代わりと言っては何だが、ぼくはとある犯罪行為に手を染めだしていた。

インパーフェクト・クライム

犯罪行為はそれほど長くは続かなかった。

その期間は、北海道の冬が終わり夏になるまで、亜寒帯気候特有の短い春の間くらいだった。

夏を前にして、捕まったのだ。

 

あの清原が覚せい剤で捕まったことがあった。

感想としては「ああ、よかったね」と思った。
「捕まって今ごろ絶対ホッとしてるだろ清原」と思った。だって自分もあの時そうだったから。

自分でやめたくてもやめられなかった。
「こんなのやだよ」
「誰か止めてよ」
「誰か助けてよ」
と思いながら罪を重ねていた。

今でも自分が捕まった瞬間のことを思い出すとホッとする。捜査員が神の使いのように見えた。

安堵のあまり、決して1ミリたりとも、逃げようなどと思わなかったもの。

 


だけれど、連行されほどなくして事態は一変した。

聴取されながら罵声を浴びているうちに自分のやったことの醜さに耐え切れなくなり、警察署のスチールの机の上に自ら頭を激しく何回も打ち付けた。痛さは感じなかった。

「お前なにやってんだよう!!!やめろ!!!」
北海道なまりの警察官が、国家権力的な声で叫ぶ。

おおよそ「人間」に向かって何か言葉を発する時の、ある種の敬意のようなものが一切無いトーンだ。動物にもこんな言い方はしないだろう。犯罪者とは動物以下の存在なのだ。

 

「お前仕事は何やってるんだよう。」

両手で頭を抱えながら声を絞り出す。カウンセラーです。

「何のカウンセリングなんだよう。」

「心の。。です。」

少しの間をおいて、刑事がせせら笑う。調書に「自称カウンセラー」と書いている。

「お前、家族は?」

「いません。」

「お前、このままだと逮捕するけど、いい?」

 

ぼくとぼくに属するすべての物事が疑われた。彼らはぼくのバッグの中を洗いざらい調べる。

「お前、このハサミで人を刺そうと企んでたんじゃないのか?」

ぼく自身、ぼくの持ち物、ぼくの発する言葉、それら全てについて、にべもなく疑われた。

 

「お前、嘘ついてるんじゃないだろうな?」

閉ざされた子宮

身元引き受け人のアケミさんが警察署に到着したとのことだった。刑事が彼女を迎えに行き、席を外す。

一人になり、つかの間。意識が現実から逸れる。遠く南国に暮らす母を思い出す。そして母の姿より母の子宮を想う。死んで、あの中に還り羊水の海で眠りたいと深く願った。

 

ぼくからの電話を受けて1時間ほどで警察署にやってきた、アケミさんと面会した。ぼくの顔を見て血相を変えている。

「電話もらった時、オジマさん、病気になったんだろうなって思った。それにしてもひどい顔してる」

「すみません」

やっとのことで声を絞り出す。
アケミさんと警察官が話している。ぼくと彼女との関係性を確認しているようだった。彼女とはカウンセリングや占いの仲間で、お互いの活動を応援しあっている間柄だった。

アケミさんが来てくれたおかげで、その場での逮捕は免れたのだったが、普段はブログなどに「愛」だの「光」だのと綺麗ごとをのたまっていた手前、正反対とも言える犯罪を犯し続けていた自分に対して嫌悪感や羞恥心が止まらず、どうしても顔を上げられなかった。

金持ち父さんの名前

その年。春がそうであるように、これまた短い北海道の夏になりつつあった。アケミさんの尽力もあって不起訴となったぼくは、アルバイト乗組員として、とあるフェリーに乗っていた。

その船の名は、「きたかみ」という名前だった。13,937トン。

あの震災当時、仙台港に停泊していた「きたかみ」だが、地震の知らせを聞いて機転をきかせた船長はあえて津波に向かって垂直にフルエンジンで出港した。船は横などからの波には弱いが縦からの波には強い。

つい4ヶ月ほど前に沈没を免れたという、その由緒ある船「きたかみ」のとある乗務員船室の中に、ぼくとオオタニさんは居た。

 


「三億円持ってるんだけれどねえ・・・」

 

オオタニさんは、こんなことは余り大したことでない、とでもいう調子で切り出した。

オオタニさんは、50歳近くの、小さなファンドを経営している社長だ。お客さんのお金を預かって30億円ほど運用しているという。オオタニさんは今のところ資産が三億「しか」ないのだと言う。せめて六億ないとファンドの仕事をリタイア出来ないのだという。

「早く辞めたいんだけれどね。人に貢献しているという実感もないし。必要な生活費が月に100万で、あと50年生きるとすると、六億ないとね。」

オオタニさんと対照的に当時ぼくの持ち金は三百円に満たなかった。そのお金も、後日たばこ一箱を買ってしまいほぼゼロになることになる。

「ホリエはね、ライブドア事件の前に会ったよ。でも彼はぼくの話に乗ってこなかった。どうも理解できなかったみたいなんだね、ぼくの金融工学が。」

「金融工学。あのバフェットとかのですか?」

「そうそう。よかったらお金の増やし方、教えてあげるよ。」

 


オオタニさんは、「のどごし生」をうまそうに傾け、少しはにかみながら話す。

「女優のTが同じマンションに住んでたことあって。時々ゴミ出すときにエレベーターで会うのね。スッピンだと肌ボロボロでひどい顔なんだよ。あの人。」

ひどい顔と言っても、ぼくが警察署でアケミさんに見せたあの顔よりはずいぶんマシなんだろう。

「その高輪のマンションに国税が来てね。朝7時くらいにピンポーンって来たんだよ。こっちはもう電話して『払う』って言ってるんだけど。来たの。全部ひっくり返していった。嫁さんの下着まで全部ひっくり返して帰った。それでね、嫁さん愛想尽きたみたいで『あなたと一緒にいるとアップダウンが激しすぎて耐えられない』って。それでもう離婚。慰謝料は毎月50万払ってるけれど。」

オオタニさんは、細身だ。身長はぼくと同じくらいで、高くない。その奥さんの残していった女物のジーンズを未だに愛用している。

「それで、なんで税金払えないのに家賃100万のマンションに住んでるんだ、って言うから、国税が。だから六本木の50万のところに移ったんだ。」

 


オオタニさんとぼくがこれから従事するのは、主に皿洗いだった。
何故これほど金持ちのオオタニさんが、こんな今時の大学生でもやりそうにない、しがないこのバイトに就業しているのか。その理由は後々わかることになる。

何はともあれ、三億円の男と三百円の男がパートナーとして仕事をし、同じ釜の飯を食い、同じ部屋で寝るという生活が始まったのだった。

三億円の男と三百円の男

アラームをセットしていた携帯電話が震え、目を覚ます。

「よく眠れました?」

「ああ。揺れがひどかったけれどね。あまりの揺れに、背中が指圧されているような感じだったよ。でもやっぱ酒を飲むと違うね。眠れる。」

「ぼくは逆ですね。久しぶりに一本吸ったら、眠れなかったっす。」

「ニコチンは覚醒するからねえ。眠れなかったらいつでも冷蔵庫に入ってるビール、好きなだけ飲んでいいよ。」

オオタニさんは自分のことを「軽いアル中」だと言う。他人のお金を預かって運用するというのはすごいプレッシャーで、飲まないともう寝られない体質になっているのだった。

そんなオオタニさんも、この「休暇」期間中は酒を飲まないと決めていた。しかしそんな禁を一日で破り、昨夜は「のどごし生」の缶を3つほど空けていた。

そしてぼくも今回の洋上の仕事では禁煙するつもりが、やはり一日で元の木阿弥に戻っていた。ふたりとも似たようなものだった。

 


まだ明けぬ水平線を横目に見ながら二人はメスルームの掃除に向かう。ここは小さなレストランの体をなしていて、だいたい70人の船乗りたちが交代で毎日食事を取る場所だ。

つまり「メスルーム」とは洋上の社員食堂、と言ってもいいだろう。掃除機、モップ掛け、テーブルを拭いて、醤油やソースなどの調味料、そして箸などの補充を行う。

7時を過ぎると船乗りたちが食堂に入ってくる。味噌汁、ごはん、焼き魚、スクランブルエッグ、ソーセージ、海苔、ひじきなどの煮物、漬物、パンなどのありふれたメニューがビュッフェスタイルで用意されている。

そうこうしているうちに今度は乗船客のモーニングが始まる。9時前にその皿洗いが終わる。

汗をかいたふたりは一緒に朝食にありつく。安物のマーガリンとジャムを、トーストした食パンに塗って食べる。ひと仕事終えた後の洋上の朝食は、やけにうまい。

普段はトランス脂肪酸がどうたらと言ってはばからないのだが、ほとんど所持金ゼロの自分にはどんな食事だってありがたいのであった。

アイ・アム・リッチマン

朝の食事が終わると休憩に入る。オオタニさんとぼくは各々のベッドにもぐりこんで本を読んだり睡眠をとったりする。オオタニさんは小説が好きなようであった。

「幅広く知識を身につけるには小説が一番なんだ。プロの作家は、よく調べたりよく取材して書いているからね。」

ぼくが村上春樹の名前を出すと、彼はこう言った。

「村上春樹は嫌いだな。IQ84全部読んだけれどね。嫌いだから、全部立ち読みで読んだ。」

変わった人だった。それに、自分の好きな作家を否定されても憎めない何を持っている人だった。

 


お昼時になると、またメスルームと厨房での仕事が始まる。昼の船員の食事は冷凍食品と決まっていた。業務用のパスタ、そば、うどん、チャーハン、ライスバーガーなどがメスルームにある業務用の冷蔵庫に入っている。各々がそれを取り出しレンジ調理を行い各々で食す。船員たちの食事が終わるとぼく達もレンジフードを温めて食べる。それらはやはり業務用なだけあって意外といける。

「これ、うちの会社の男の子たちの夜食にいいな。冷蔵庫にストックしておきたいね。」

オオタニさんはきつねそばをすする。ぼくは夜中まで働く若い社員たちの姿を想像する。きっと、優しく知的な社長の元、意気揚々とのびのびと仕事をしているのだろう。

「給料が一億プラスの年もあるし三億マイナスの年もあるんだよ。それでなかなか六億たまらない。」

ぼく達はせわしない食事を終えると、メスルームの隣の厨房へ向かい、昼の皿洗いを行う。

 


オオタニさんは金持ちだ。なのに自ら進んで底辺と言われがちなこのバイトをしている。それは何故か。こちらからは聞かない。出会って初日にオオタニさんから説明があったからだ。

「顧客から金を預かり投資して毎日毎日じっとパソコンの画面を見つめていると鬱みたいになってくる。そこから逃れるには、こういう仕事で身体を動かすのが一番なんだ。」

ああ、なるほどね、と思っただけだった。嘘をついているとは微塵も感じない。本当に金持ちなんだろうなこの人は、と思った。でも嫉妬もしなかった。あまりにも自分と違いすぎること、そしてあまり幸せそうに見えなかったこと、その二つのがそうさせていた。

 


20年間プロ麻雀無敗という、とてつもない強さを誇った桜井章一氏をモデルに書かれた「伝説の雀鬼」という本がある。その中で彼は何億円、何十億円がかかった勝負に勝ち終えた後に、豪華な接待を断り一杯二百円のラーメンをすする。その行為を書中では「土に還る」と表現していた。

そういった莫大な金が動くところに身を置く人には、得てして彼等を麻痺させる「垢」のようなものが身に纏い付くのだろうと思う。その欲望の垢を落とし「土に還る」ことを求めえたこと、それが桜井章一の強さの秘訣だったように思うし、それはオオタニさんにも必要なことなのだろうと推し量っていた。

ややおかしな話かもしれないのだが、三百円の男が三億円の男に対して、憐みや同情心のようなものを向け始めていた。

イート・イート・イート

「きたかみ」は、苫小牧と仙台の間を延々と往復する。
夕方に苫小牧を出航すると約15時間かけ翌日に仙台に着く。そして停泊し夕方に仙台を出航するとまた約15時間かけ苫小牧に着く。

着岸、停泊、出航。ひたすら、着岸、停泊、出航その繰り返し。新聞配達なみの律儀さだった。

各々の港に到着すると、船員と乗客のための食材を受け取る。検品しそれらを厨房の冷蔵庫に格納する。そういったことも、ぼく達の重大な任務だった。

今日も昼食後の休み時間が終わり、その任務のために荷受けの階に移動する。冷凍食品や野菜のボックスに混じって「かんぱち」と書いてある箱が見えた。船員向けの夕食の一部である。

 


一般的に船員の夕食は豪華だ。高級魚の刺身が提供されることはもとより、うなぎ丼、和牛ステーキ、フカヒレなどの高級食材を使った中華料理、寿司など、ぜいたく品が食卓に並ぶことは正に日常茶飯事だった。

それは何故かというと、船員たちは「食べることくらいしか楽しみがない」からというのである。

船員は、3週間勤務して1週間休むといった勤務体系である。つまりいったん船に乗ると3週間ぶっ続けで勤務になるわけで、その間、ネットもなくテレビもなく(BSだけは見られたが)ほぼ海上で過ごすわけである。家族や恋人など近親者と離れ離れで、捌け口は恐らく賭け麻雀といじめと人の悪口くらいである。

そのため若い世代を中心として非常に離職率が高い。それもあって船会社も食事のことをはじめとして、様々な福利厚生に力を入れているようであった。

 


メニューが和牛ステーキの日があった。料理人が焼き加減を聞いてくる。ぼくは初めて食べた佐賀牛に舌鼓を打った。

オオタニさんも目の前で肉塊にナイフを入れている。「うまいね」と言っているが、彼ならもっともっといい肉を食べ慣れていても不思議ではない。それが口に合うかどうか心配になり少しだけ気を揉んだが、オオタニさんは意に介さない。

そういった美食の余韻もそこそこに、また皿洗いである。乗客の使った皿、船員の使った皿。汗だくになり洗い終え、スプーンやフォークを磨き上げ、全部終わるのが午後9時。それから風呂に入り洗濯。波に揺られながら睡眠を取り、翌朝の5時に起床しまたメスルームの清掃を行い朝飯を食べ皿洗いをする。その繰り返しである。

 


ある夜中に所在なくなり、ひとり甲板に出る。海の音(ね)をかき消す船のエンジン音はけたたましく壮大だが、ここ洋上では誰にも迷惑をかけないので清々しい。

重油の匂いと海の匂いが混ざった船独特のにおいが鼻の前を通り過ぎる。心臓の鼓動とディーゼルエンジンの振動が無機的に呼応する。その暴力的な揺れに身を預けていると自分の大切な何かが損なわれていくような気になる。遠くにメルトダウンした発電所。あの3月の波にのまれ散った骨がこの付近の海底に沈んで、真夏の風にしなう柳のようにたなびいているのを想像する。

ぼく達はどこからどこへ行こうとしているのか。多分どこにも行けない。移動していると思ってもある地点からある地点を往復しているだけだ。ラリーの中にあるピンポンのボールのように。そしてこの船のように。

そんなことを考えながら、太平洋の夜は更けていく。黒い闇に、煙突から吐き出される黒い煙が巻き付いていき、あたりがいっそう黒い黒になる。カモメの姿は見えない。

シンクのリビエラ

夏休みに入り乗船客が増えるにつれ、ぼく達の仕事もなかなか大変になってきた。洗い場に運ばれるトレーや皿の量も度を超す。家族連れ、合宿に行く学生、老人会などの団体客の歓声が朝晩の食堂にこだまする。

基本はセルフサービスのレストランである。団体客が一斉に食事を終えると「下げ場」と言われる棚の前は食器を返しに来る人々で、ごった返す。乱雑に食器が乗っかるトレイで溢れかえる、銀色のスチール製の錆びた網状の棚板。

ぼくらはトレーをひとつづつ手に取り、樹脂の食器、ガラスのコップ類、陶器のカップ類、スプーン、フォーク、箸、残飯、ストロー等のゴミなどを慎重かつ素早く仕分けする。下げ場の棚を早く開けないとそこで客が渋滞し、各方面に迷惑がかかる。

ぼくもオオタニさんも作業に飲み込まれ半ばパニックになる。焦りのあまり手に取ったトレーからコップが床に滑り落ち粉々に割れ、年端もいかない女性船員から叱られることも間々あった。

 


下げ場の仕事が一段落するとそれを女性船員に任せ、二人は厨房内に移動する。

一般的な賃貸マンションのバスタブ3つ分はあろうかという、巨大なシンクにはお湯が並々と張ってある。そこは樹脂製のおもちゃみたいな食器で溢れかえっている。

天候がシケていて船の揺れがひどい日には、その水面が波立ち、おもちゃの食器とお湯がシンクの中でダンスする。シンクに投げ入れられる度に皿たちはカチャカチャとぶつかり合い、「はやく洗ってくれ」と言わんばかりの音を立てる。

ぼく達はそこで二手に分かれる。「流し役」と「受け役」に分かれる。つまり、食器を食洗器に流す人と、食洗器から出てきた食器を受けまとめする人、というわけである。

 


その日のぼくは流し役だった。
シンクに両手を突っ込み食器を手に取る。全長3メートルはある業務用食洗器の、ステンレス製のベルトコンベアに次々それをのせる。必ず裏返しにしてのせる。食洗器内部の洗浄湯は主に下から出ているので、裏返しであることがとても大切だった。

食洗器内部に入っていく食器たちは、まるでストレッチャーにうつぶせに寝かされて手術室に運ばれる患者の集団みたいに思える。

食器にしろ患者にしろ、しばらくするとまたストレッチャーかコンベアに乗せられ、すごすごと出てくるのだ。

ただ違うのは皿洗いには手術のようなシリアスさが無く、行為が失敗に終わることも稀だということだった。

覇気がない

洗い上げられた食器は、受け役のオオタニさんのもとに運ばれる。
食器は不ぞろいにコンベアに乗っている。洗いたてのそれらは、ともすれば素手で触れないくらい熱い。
おもちゃのようなお皿やボウルが、キラウエア火山の火口から流れ出たマグマのようにオオタニさんのもとに押し寄せる。

受け役は同じ種類の皿だけをまとめて手に取り、傍のテーブルのような置き場に移す。お椀はお椀だけ、小皿は小皿だけ、大皿は大皿だけ、そんなふうにまとめて四角い洗面器のような容れ物に移す。
ほんとうに手早く動かないと間に合わない。人の動きが遅いと見るや、食器は受け口に我が物顔でのさばりコンベアを止めさせる。
そうやって作業が止まってしまうと、白い制服を着たコック連中が仕方なさそうに手助けしてくれることもある。

 


その白衣のコック連中を見ていると、総じて覇気が無い。ぼくはこの仕事についてすぐに、そのことに気づいていた。

その中に高校出たての男の子がいた。彼は北海道のあの牡蠣で有名な厚岸(あっけし)出身であった。

厚岸の彼は、厨房内で明らかにいじめられていた。いじめていたのは、中華包丁をいつも大切そうに携えたKという男だった。

「てめえな、」中華包丁が言う。
「芋取ってきたなら、当然人参も一緒だろうがよう!!!」

「じゃが芋を取ってこい」とだけ厚岸君に命じたはずのK。なぜ人参を取ってこなかった厚岸君に激怒しているのか。意味が不明、というか故意である。そういった不条理な行為が公然と行われていた。

 


閉鎖空間とは、いじめの温床である。被害者は、第三者に助けを求めることが出来ない。加害者もそれをわかっている。来る日も来る日も同じことが続く洋上の密室では、ほかにカタルシスを得るものが見つからない。そのことを栄養に陰湿ないじめが助長されていく。

いじめの病原菌が梅雨の台所に畳んで置かれた生乾きのふきんのような、嫌な臭いを放ちながら繁殖していく。

中華包丁のKのことが嫌いだった。Kは人の好き嫌いが激しいらしく、オオタニさんとは笑顔で会話するがぼくには一切愛想がない。

そのほかの連中も、厚岸君をいじめはしないが、Kの暴力を止めない。コック長は死んだような目つきで厨房をウロウロしている。魂を吸い取られたような仕事っぷり、その彼らの、士気のなさというか無力感は、果たしてどこから来るのだろうと日々考えていた。

海の上のセラピスト

入浴やら洗濯やらひと段落したぼくら3人は、午後11時の静まったメスルームに居た。

「静まった」といっても注意を注ぐや否や、きたかみの28,800馬力のエンジンの運転音がすぐに意識を支配する。それはハーモニーを放棄した通奏低音のようであり、単調で退屈な奏を船内に響かせる。エンジンはその音や振動を通じて、この船の主体は自分なんだと主張する。

テーブルの上にはオオタニさん提供の、のどごし生の500ml缶が6本ほど鎮座している。缶は振動を吸収し、ぶーん、ぶーんと金属音を立てて細かく細かく震える。その拍子に缶の表面の水滴がひとすじふたすじと、垂れる。

 


「もう辞めようかなあ、なんて。」

厨房で一緒に働く若手社員のT君は、オオタニさんに人生相談をしていた。T君いわく、ここの厨房の仕事には「やりがい」というものが無いそうなのである。

船員用の豪勢な夕食の場合はともかく、客用の食材のほとんどが調理済み冷凍食品、と言っても過言ではなかった。
朝食用のスクランブルエッグさえも、レトルトパックに詰められたものを湯煎し、銀色のビュッフェ用の保温器具に移すだけであった。他の揚げ物、焼き物、サラダなどに関しても言わずもがな、である。

その仕事にやりがいなどない、とT君は言っているのである。
なるほど、中華包丁のKがいじめにまい進するのもわかるような気がした。彼も本音は厚岸君いじめなんかに精力を注ぐのではなく、中華包丁を握って食材と向き合い、その覚えのある腕を唸らせたいのかもしれない。それが出来なくて拗ねているのも、あるのかもしれないのだ。

 


「若いんだからいろんな経験をした方がいいよ。そして、勉強。小説を読むといい。」

知識を身につけるには小説を読むのが一番、というオオタニさんのいつもの持論である。
その頃のオオタニさんの船の中での愛読書は「砂の器」だった。

「もう一度きりだから、こんなことしていて良いのかな、って。命を輝かせなきゃって。」と半ば目を潤ませるT君。

仙台出身のT君は震災で親戚を亡くしたという。

多かれ少なかれ、あの頃は各々があの震災のケリ、というか始末をつけられず、動揺したままに日々を過ごしていたところがある。そして今までの生き方を見直そう、という気運も高まっていたように思う。

「その辺はさ、相談なんかはさ、オジマさんのほうが専門だから。」

オオタニさんは、水滴がつかなくなったビールの缶を気楽そうに傾けながら、ぼくのほうを一瞥する。

 

ここでどうするか。あれを使うかこれを使うか。カウンセリングの知識が頭をもたげる。でもぼくはT君に尊敬の念と共感を示すにとどめた。ここは安易に解決しないことがT君にとって大切なのだろうと考えた。

もちろん相手が本気で望んでないところでカウンセリングの真似事をしても、ここに居る誰もが幸せな結末を迎ることは困難だという目論み、経験からくる自負もあった。

 


ぼくらを揺さぶる28000馬力の振動はどこまでも、いつまでもついてくる。それはまるで、人生における悩みの存在のようであった。船を降りない限り、そして人生を降りない限り、誰しもそれらから逃れることは無理な相談であるし、その揺さぶりがないと船も人生も前に進んでいかないのだ。

振動も悩み事も、ある意味前進の象徴というか、積極性の副産物なのだ。

日本中の誰よりきっと

この仕事を始めてから2週間ほど経っていた。

今日もきたかみは仙台港に接岸する。
オオタニさんは停泊の間の自由時間に、松島までタクシーをチャーターし観光に行くと張り切っていた。

そんなオオタニさんを見送ったぼくは、陸に降り立ち、徒歩でとある場所を目指す。

蜃気楼のようにかすみ、ぐにゃりと歪んだ線路を渡る。港から市街地に入ろうとするその境には、震災の瓦礫がうずたかく積み上げられている。

それらのほとんどは、赤黒く錆びた鉄くずたちで、まるで一里塚のようにぽつりぽつりと存在する。よく目を凝らすと、そこかしこにゴキブリではない得体のしれない黒い虫がわきうごめいていた。

悲しみや後悔や怒りが詰まった鉄くず。そのすえたような臭いと港の潮の香りが混じり異様に鼻についた。吐き気を覚える。ふらふらと意識が遠のいて、紫外線がちりちりと頭のてっぺんを焦がす音が聞こえたようだった。

 


歩き続けコンビニに到着すると、わき目もふらずATMに向かいキャッシュカードを挿入し、残高照会をする。5枚ほどあるカードだったが、すべての口座残高はやはり数十円だった。

それだけを行うと、万引き犯のようにそそくさとコンビニを後にする。アスファルトはスニーカーの底が溶けそうなくらい熱い。犬の散歩をしている人が居る。犬の足の裏は、大丈夫なのだろうか。熱を踏みしめつつ、歩を進める。

タバコが買いたかった。

 


帰り道のすがらすれ違う、学生。老人、主婦らしき女性、肉体労働者風の男性たち。たぶんこの人たちのなかで一番金を持っていないのは自分なんだ、と思う。

何年か前に麻布十番の駅前で見た乞食の方が、今の自分よりよっぽど金を持っていたと思い出す。

圧倒的に、金が、ない。でもその事実は、なんとなく清々しいものに思えた。わかりやすいといえばわかりやすい。あるかないか、と言えば、ないのだ。

オオタニさんは言っていた。

「年収一千万レベルの人間たちが一番苦しいんだよ。それぐらいの年収だと、それなりのところに住んでそれなりの格好をして、子供もそれなりの学校に行かさなきゃならない。でもそれには一千万では足りない。でも無理はやめられない。見栄があるから」

 


金が無い割には、苦しくはなかった。何より船に乗ってる間は少なくとも心配事がなかった。むしろ苦しそうなのは、金があるオオタニさんのほうであった。

例の線路まで戻ってくると、いかりを下ろしエンジンを止め幽霊船のように接岸するきたかみが大きくなってくる。煙突を見上げ、足を踏み入れる。相変わらず錆びと古い油の匂いのする船員用階段を上る。甲板の最上階にたどり着き息を整えながら海を見下ろすと、カモメ達が紙飛行機のように舞っていた。

背を見せながら啼くカモメ。いつものこの光景に心許しながら、甲板の手すりをつかんでいた指をタバコのように口に含んで舐めてみる。海の潮だか自分の汗だかわからない、塩味。そしてペンキが剥げた鉄の味。鼻から抜けるそれらをひとしきり味わいながら、ぼくはとある一つの疑問に想いを寄せていた。

憐れみは雪のように

昨晩、ひとりになった部屋で「星守る犬」という映画を観ていた。地デジに対応していない古いテレビ。平面ブラウン管のその画面を見つめていた。

ストーリーとしては主に、西田敏行演じるうだつの上がらないおじさんが、飼い犬と共に関東から北海道へ彷徨い、挙句の果てに野垂れ死にするという流れだった。
おじさんは職を失い家族を失い、金を失いプライドを失い、最後に残ったのは絆。命さえ失っても、飼い犬ハッピーとのそれだけは決して失われなかった。

おじさんと自分自身を重ね合わせていたし、車中泊しているおじさんが「ハッピー。死にたくないよう。」と吐露しながら愛犬のそばで息絶えていくのを見るのは物悲しかったが、ぼくにはそれほど悲劇的な話には思えなかった。

映画が終わりに近づくにつれ、「これでよかったんだ」と思えていた。

 

そこに風呂上がりのオオタニさんが戻ってきた。ブラウン管の中の西田敏行を見るなり、独り言のように吐き捨てた。

「あー、こういう奴どうしようもないよね。救いようがない。こうなるのも自己責任だよね。」

 


やっぱり、かわいそうな人なんだと思った。野垂れ死にしたおじさんのことではなく、オオタニさんのことをそう思った。
理由はうまく説明できないけれど、なんと言うか、自分の考えや好き嫌いや価値観がかっちり決まってしまっていることに、彼の生きづらさがあるのだろうと推し量ったのかもしれない。

「明日、タクシー飛ばして日本三景の松島いってくるよ。オジマさんも来ない?」

金を稼ぐのはいいこと、貧乏は悪いこと。生きるのはいいこと、死ぬのは悪いこと。美しいのはいいこと、醜いのは悪いこと。そういったドグマにどっぷり侵されながら生きることはさぞかし辛かろう、と同情したのかもしれない。

貧富も生死も美醜も、カモメの背と腹のように同じモノの一側面に過ぎない。本質的にはそれらは浮世の二元性の産物であり、カモメは背と腹が揃ってこそカモメなのだ。
自分の気にいらない片側を批判することは、自分の気に入ったもう片側をも批判することになるはずだ。

 


カモメの背を見おろしながら、そんな昨夜の出来事を想う。

昨日はあんな風に一方的な憐みをもったけれど、結局はオオタニさんもぼくも、同じ穴のムジナだった。

映画のおじさんを批判するオオタニさんをぼくも批判していたのだから。

そして、同じように金に対し苦しみを抱いている二人という意味合いでもそうだった。少し前までぼくは金が無いことに苦しんでいたし、オオタニさんは金があることに苦しんでいた。

あるにせよないにせよ、いずれにせよ金で苦しんでいるもの同士。宇宙はよくぞ、こう上手くこんな形で我々を巡り合わせたものだと感嘆した。

マジック・アワーの彼方に

日が沈み、群青色の宇宙のとばりが下りてきた。

夕焼けの暖色から寒色に向かうグラデーションを見かけると、カーペンターズの “Close to You” が聴きたくなる。そしてその光景には宇宙とは生き物なんだと、改めて感じさせられる。宇宙が生き物だとしたら、いったい何を考えているのだろう。

宇宙はどうして人類を作ったのだろうか。どうして宇宙はぼくを生かしているのだろうか。ぼくが生きていることはいいことなのだろうか。そもそも宇宙が存在していることが、いいことなのだろうか。宇宙など存在しなくてもいいのではないか。そしてこんな存在していいのかどうかが不確かな宇宙で、ぼくがこうして色んなものを損ないながら生きていることに、果たして意味なんかあるんだろうか。

 


オオタニさんはこの仕事が終わったら、マイアミにバカンスに行くという。そして親や元の奥さんや会社の社員が彼の帰りを待っている。でもぼくがこの船に乗っていることを知っている近親者は居ない。アケミさんにも伝えていない。

そして帰りを待っている人も居なかった。唯一、首を長くして待っているのは、不動産屋の家賃取り立て係の男だけだった。陸に上がってやることもこれと言ってなかったし、社会との関係性が失われていた。

一般的には家族、友人、地域などとの関係性が損なわれると、人生の意味もほとんど損なわれてしまう。昨日画面の中で野垂れ死にしていたおじさんにはハッピーとの絆から生まれる意味がありそうだったが、ぼくにはそれはないように思える。

心理学的知見をひも解くまでもなく誰しも、行為の有効性つまり意味が分からないと、モチベーションが上がらない。自分の行為に意味がないとか、何にも誰にも貢献していないと感じることは、えてしてモチベーションをスポイルする。そして生きることだってその有効性つまり意味がわからなければ生きる意欲が削がれる。ぼく自身のありさまがそれだった。

幼少の頃から生きる意欲というものが薄く、それもあってか母親は当時ぼくのことを短命に終わると見立てていた。そんな中、生きることの意味の解を求めることに光明を見出し夢中になったこともあった。でも正解というものにはたどり着けず、社会人になりこういった探求心を封印して仕事に励んだこともあった。大人として「よりよく」生きるには以下の疑問を持つことはタブーだった。

「どうせ死ぬのになぜ生きるのか。」

 


生命だから、生きようとする。この体を構成している細胞には独自の生きる意志がある、持ち主の意志とは関わらず。それは、わかる。だったら何故、生命は存在している。生命に意味はあるのか。このただのたんぱく質のかたまりが意志を持ち感情を持ち生きる。何故だ。それを知り得ないといういらだちが、長年の生活に影を落とし続けていたようだった。

ぼくは群青色から闇に刻々と変わっていく宇宙のショウを見つめつつ、高校三年生の12月の冬の日を思い出していた。

スーツを着た悪魔

クラスの連中と、自転車置き場に居た。少なく見ても500台は停められる、広大な駐輪場だった。

ぼくが通っていた高校では、毎週土曜日の昼過ぎに清掃の時間があった。自転車置き場の清掃の担当である我々。連中は、各々竹ぼうきや塵取りなどを手にしながら、いっこうに清掃などする気配もなく雑談に興じていた。

ぼくもそこの清掃の担当だったが、それをする気も群れる気もなく、手ぶらでひとりズボンのポケットに手を突っ込み、気を抜いてブラブラしていた。早くお好み焼きでも食いに行きたいな、と思いながら。

そこに突然学年主任のニシガワがやってきた。お前ら何やってんだ、ソウジしろ!と怒号が響くと、固まっていたクラスメートの輪が、蜘蛛の子を散らすように駐輪場の中に拡がっていき、各自清掃を始める。

アホやなあ、醜いなあ、と思って連中のことを見ていた。去勢され飼いならされた羊のような級友達と、権力の飼い犬みたいなニシガワ。しょうもないなあ、寒いなあ、と思ってそのまま突っ立っていると、ニシガワが目をつけて近寄ってきた。おいお前ソウジしないか!ポケットから手を出せ!ぼくは一切言うこと聞かず態度を固め、奴には目もくれてやらない。顎を斜め上に曲げて、上目づかいに乾いた冬空を見上げる。

おいお前なんでソウジしないんだ!と、奴が声を荒げる。目をやると、権力の汁を吸ってむっくり白くムクれたよな、醜悪な顔。縦に、横に、額に、眉間に、しわが何本も深く刻まれている。脂ぎった白い大きな鼻その二つの孔から大人の社会の腐敗臭を含んだどす黒い息が出入りし、鼻毛がたなびいていた。その鼻の上に高価そうな銀縁の眼鏡が誇らしげに乗り、緩く上下している。その奥の白目が濁ったまなこが怒りに震えている。ぼくは前からこいつのことが、たいそう気に食わなかった。

近づいてきたニシガワは、お前なぜソウジしないんだ?理由を言え理由を、と顔を紅潮させまくし立てる。理由なんかない、やりたくないからやらない。でもそれをお前なんかには言わないと黙ってニシガワを睨む。お前、職員室に来い、それともソウジするか?と問うので前者の選択をし、ニシガワの後を距離を置きながらふんぞり返って職員室に向かった。

痛い目にあうって本当ですか

職員室につくとニシガワは、お前、立ってろ。謝るまで帰さんからな、と言い残して自分の机に向かう。担任のオザワがぼくに気づき、面倒を起こしやがって勘弁してくれよ、というような訝し気な目つきでぼくのほうをチラチラ見てくる。本来50人以上いる教員たちだったが、午後の授業のない土曜日とあって着席しているものは、まばらだった。

がらんとした午後の職員室の真ん中近くでガラス窓を背にし、ひとり立っていた。10分、20分、30分は経っただろうか。奴が、どうだ懲りたか?懲りただろう、というような表情をたたえ、にじり寄ってくる。「オジマ、お前はなぜソウジしないんだ?」「言う必要はありません」そんなやり取りを少しだけ経て、ニシガワは学年主任の席に戻っていく。

幾人かの教員や生徒がぼくの傍を通り過ぎていく。彼らが、何やってんだこいつは、というよな蔑視をくれる。自分が優位になる場所に連れてき、なおかつ恥をかかせ力づくで屈服させようという姑息な試み。奴ららしいやり方だ。壁の時計に目をやる。一時間過ぎた。

オザワは担任のくせに、まるでぼくなどこの世に居ないかのように振る舞い続けている。奴、ニシガワがやって来る。「謝る気になったか?」「いいえ。何故謝らなくてはいけないんですか」「お前がソウジしないからだ」「では、なぜソウジしなくてはならないんですか」「お前、そんなことじゃあ、社会に出てからきっと痛い目にあうぞ」「何故わかるんですか?それに、痛い目にあえばいいじゃないですか。そのときになって痛い目にあえばいいんです」しんとした職員室に我々の声だけが、まるで銭湯で風呂桶が転がる音みたいにからんからんと空しく響いていた。

 


お前、もう帰れ。帰っていいぞ。苦虫を噛み潰したような顔のニシガワ。自分が帰りたくなっただけだろう。ぼくは、やれやれ、勝ったぞ、と思いながら出口へ向かった。そこで初めてオザワが近づいてくる。お前なあ、ええ加減にせいよ。わしまで恥かくやないか。ユーモアもない真実もない、フェイクした微笑。清掃の時間から、二時間過ぎていた。

平気だった。あと何時間でも立っていられた。ぼくが長い間立てば立つほど、かえってニシガワや他の教員たちの不条理さが際立つだけだと思っていた。ざまあみろ、と。

だがこんな事で心が晴れるはずもない。結局は虚しいだけだった。こうして大人に牙を剥き、もがけばもがくほど、全身にクモの糸のようにまとわりつく厭世感が、より強く身体に絡みつくばかりだった。

どこか、遠い国に行きたい、誰もぼくを知らない国で、羊飼いにでもなりたい。あのペーターみたいに大自然の中で、家畜を飼って暮らしたい。卒業の時、生徒全員に配られる記念冊子のひとこと欄に「この世界のどこに行けば心が洗われるのでしょうか」と書き記してそこを去った。

壊れかけの世界

当時付き合っていた彼女に、ニシガワとの成り行きを語る機会があった。

「なんで、みんなあんなに不器用なのかね。どうして自分を偽るんだろう?」

「あなたほど、不器用な人は居ないと思う。」

軽いノリで語っていたぼくに対し、彼女の表情は真剣だった。

ぼくは去勢された羊の群れのようなクラスメイト達に、同情のような念を抱いていた。なぜ自分を偽るのか不憫でならなかった。救わねばとさえ思っていた節さえある。でも彼らから見たら馬鹿正直な出来損ないのぼくのほうが、よっぽど可哀想な人だったようだ。

今やそのクラスメイト達は従順にいっぱしの企業に勤め続け、信頼を積み上げ出世し給料を上げていた。それぞれに家庭を築き、都内や地方都市の一等地に一戸建てやマンションをつぎつぎ購入する、同級生たち。

彼らの住処が光とするなら、ぼくはもっぱら闇の世界に生きていた。

事業の失敗、莫大な借金、精神病、リストラ、離婚、飲酒運転した末の交通事故。手ひどい挫折があった。挙句の果てに犯罪に手を染め、奈落の底に落ちた。健康、幸福、富、成功。追い求めていたものや手にしていたものは、ほとんど毀(こわ)れてしまった。

どうせ死ぬのに、なぜこんな苦しみを生きる必要があるのだろうか。

 


「人は魂を磨くために生まれてくる。この世は学校、学ぶために生まれてくる。試練は必要なこと。」

「自分とはいったいどういった存在なのか思い出すため、この世はある。神は人間に罰を与える存在ではない。」

「この世は望まざるものを体験し望むものを知る世界。愛でないものを知り愛を知る世界。」

「我々は光である。光は闇の中にいないと自分が光であることを理解できない。だから闇であるこの世を創造した。」

これまで培ってきた様々な観念が頭に浮かぶ。だがそれらはもはや遥かいにしえに作成された古地図の切れ端のように、まったく何の指針も示さなかった。

 


深夜の船はうなりをあげながら、漆黒の太平洋に白い波を切って進む。今夜も12時過ぎた甲板には自分一人だ。今この大きな黒い海に身を投げれば、それに誰も気づかずまず助からないだろう。津波で流された身元不明の骸骨たちが、ゆらゆらり手招きをする。海から来たこの生命が海に還るのも理にかなってるし、悪くはない。落ちた肉体はきたかみの巨大なスクリューに巻き込まれ、切り刻まれるだろうか。そのあと得体の知れない生物に食いちぎられるだろう。

遠く陸の方に目をやるがそれは遠く、灯台の光も街の明かりも潰えていた。物理的にも精神的にも、どこに居るのかわからなかった。

果たしてぼくは、あのニシガワのあの予言通りに、痛い目にあったのだろうか。

船長は静かに笑う

夜が明け、乗船から三週間目を迎えた。いつものように携帯のアラームに仕方なく起き上がると、喉は痛いし頭が痛い。風邪を引いたようだった。そんなぼくのことを見かねて、オオタニさんが風邪薬をくれる。その成分の影響か今日は半日、頭にも身体にもキレがない。右奥の下の歯茎も痛い。疲労がピークだった。

今夜の船員用の夕食メニューの一つは、肉じゃがのようだった。

昼過ぎに中華包丁のKが、ピーラーでじゃが芋の皮を剥いている。その幾つかのじゃが芋には、黒い芽の部分があった。「ここで、芽をきれいに取る、プロのテクニック出るか?ついに中華包丁お出ましか?」と期待し、ぼくはKから目が離せない。

だがKは、シュッシュッシュッという音と共に、ピーラーでそのままじゃが芋を無理やり削りに削り、芽の部分を取った。一部分だけ大きく不細工に切り取られ、小さくいびつな形になったじゃが芋達が、水を張った業務用のステンレスボウルの中に悲し気に並ぶ。少しがっかりした。

「お前は米さえ焚いときゃいいんだよ!このクソ役立たずが!」

相変わらず厚岸の彼はKにいじめられている。新しい仕事を教えないというやり方だ。これは彼あとひと月も持たないんじゃないか、と切実に思ったがここでKに意見する筋合いはない。

そんな中、ぼくとオオタニさんは船長に呼ばれることとなった。ここで仕事をした記念にブリッジ、つまり操舵室を見せてあげるということだった。

もうすぐこの仕事にも、終わりが近づいてきたのであった。

 


操舵室はシンプルな構造だった。アニメで見た宇宙戦艦ヤマトや、写真で見る現代の航空機のコックピットのように計器やレーダーの類が、おびただしくびっしりと配置されているわけでもなかった。

船長はためしに少し、ぼくとオオタニさんとに船の操縦ハンドルを握らせてくれる。船の大きさに比して、そのハンドルは小さく、心もとないもののように思えた。ただ、その物理的大きさというものは重要ではない。その舵さばき次第で数百、数千の人命を左右する場面だってあるはずなのだ。そう思うと、ハンドルを持つ手に汗がにじんだ。さすがのオオタニさんも緊張しているようで、いつになく饒舌に振る舞っていた。ぼくたちはしきりに、船長に対して船や運航に関する質問を繰り返していた。

操舵室には東日本大震災の際に津波に向かっていく、きたかみの写真パネルが飾ってある。海上保安庁が側面から撮影したのだというそのパネルを見ると、きたかみはパクパクと水面に餌をもらいに来る錦鯉みたいな角度で船首が上向きに傾いていて、沈没寸前みたいな雰囲気を醸し出していた。波に飲まれそうでいて頼りない姿は、この船が見せるいつもの重厚なそれとは違い、まるでちゃちなおもちゃの船のようであった。

無力な僕ら

ここまでこの話を書いてきて、浮かんだ考えがひとつある。

人生はよく航海に例えられるが、それはそう単純な話でもないと。

もう少し細かく例えるならば、我々の表面意識や自我というものは結局のところ操舵室には入れないのだ。恐らく、船長や機関長のような、ハンドルや計器やエンジンを掌握し多方面に指示を出している別の存在があるのではないか。自我は自身が自分の方向性を決め思い通りのルートや時間で航海をしたがるのだが、実際は呆けていて天候やレーダーなどの情報には疎く、それはすごぶる危なっかしいものなのじゃないのか。

人生航路では自我は船長ではなく、客に例えられると思う。「ここに行きたい」という意思表示はできるが、実のところ、航海術に関してはほとほと無力なのだ。

長い人生には、荒れた航海のようなものに遭遇する場面も多い。そんな時こそ特に、必要以上に沈没や天候の心配なぞせず、運命のかじ取りはキャプテンに身を預け、トランプをしたりカップラーメン食べたり寝たりしながら安穏と過ごすのが良いのではないか。そんないい意味での無力感が、この長い航海で得られたものの一つだと思う。

意味をめぐる冒険

夕刻。操舵室見学の余韻もそこそこに、客のディナータイムが始まった。相変わらず喉が痛む。右奥歯もしくしく痛む。そんなぼくの体調なぞにはお構いなしに汚れた食器は押し寄せ、皿洗いに没頭せざるを得ない。例の食器洗浄機のコンベアに食器を流す。オオタニさんはパニくりながらも、洗いあがった熱い食器をさばいていく。その頃のぼくは、なるべくオオタニさんのペースを推し量り、流れる食器の量に強弱をつけることを覚えていた。

ぼくは腰を折り巨大なシンクに屈み、手を伸ばし食器を拾い上げる。腰を伸ばし、それらをコンベアに乗せる。終わるとまた屈み腰を伸ばし、それらをコンベアに乗せる。規則的にその雪かきのような作業を重ねる。ほぼ規則正しくルーティンで動作を繰り返す。その方が楽なのだ。

 


がたん、がたん、がたん。食洗器の発する音と自分の動きがリンクする。それはチャップリンのモダンタイムスのフィルムのように機械が強力な主体性を帯び、ヒトが強制的に動かされている光景に似ていた。

食洗器とオオタニさんと自分がシンクロする。意識が弱くなる。思考も衰えていく。樹脂製のおもちゃのような食器を手に取る。機械へ流す。繰り返す。頭は働いてはいないが、身体だけがこの動作を覚えて行っている。

その動作を時間を忘れるほど繰り返すうち、意識が目の前にある現実から飛んだ。がたん、がたん、がたん。

 


その時ぼくは、よだれをくっていたのだろうか?おもちゃ。これは、おもちゃの食器。まるで、おままごとをしているみたいだ。お父さん、おかえりなさい。ご飯はできているかな?むしゃむしゃ、おいしいな。あなた、お風呂わいてるわよ。よっこらしょ。湯舟につかると息子があひるのおもちゃと玩具の船を浮かべる。お父さん、お船がしずむよ、ほら、どーん!きたかみが湯舟の中でゆらゆらと沈没しそうになっている。現像されて操舵室のパネルに焼き付けられた、無様に傾く、きたかみの姿。その中でオオタニさんとぼくが皿洗いをしている。ゴジラやウルトラマンの映像作品に出てきたみたいに、港や街並みが津波に呑まれる。ビルや高速道路が壊れていく。全部、そうなのだ。世界はジオラマなのだ。あらゆることが、つくりものなのだ。極めて出来の良いCGなのだ。

「ままごとじゃねーんだよ!」とか「ガキの使いじゃねーんだよ!」というのは、嘘だ。全部、戯れなのだから。むしろこの世の本質を顕わしているのは、大人社会の現実ではなく子供のおままごと遊びやガキの使いのほうなのだ。あっちのほうが「本物」なのだ。

ぼくらはくそ真面目に夢中になれるこのくそ面白い、人間ごっこをしにここに来ているに過ぎない。金さえも、実体がなく、まるでおままごとで使う、こども銀行券みたいなものなのだが、オオタニさんもぼくもそれが増えただとか減っただとか夢中になり、右往左往を楽しんでいる同じおめでたい存在なのだ。

 


この戯れに意味なんかなかった。ぼくが今まで苦しい風を装って散々興じていたのは、どうやって人生に意味を結び付けていくのかというゲームみたいなものだった。この世は学ぶ場所であり学ぶ場所でなく、学校であり学校でなく、我々は愛であり光であり愛でも光でもなかった。オーム、無だった。

意味がないからこそ、「これ」にどのような意味を与えても自由なのだ。人生には意味がないという意味、それさえ与えることをしても良いのだ。そしてその意味は千差万別で各個人で異なる。だから、例えばオオタニさんとぼくの様にあの西田敏行の映画に対する意見が食い違っても、それはお互いを責められるはずもなくお互いに全く自由なのだ。

遊びをせむとや生まれけむ 戯れせむとや生まれけむ 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそゆるがるれ

遊ぶことや戯れは社会や学校そのもので、人生そのものだった。

さらば太平洋航路

ほんとうは、君が現実だと思っているものは夢で、君が夢だと思っているものが現実なんだ。

バックが書いた「イリュージョン」に、確かこんなような事が書いてあった。20歳の頃から妙にこの文句が好きで、座右の銘じゃないけれどこの言葉を心の中の大切な場所に携えながら、生きてきた。いまその言葉が心から飛び出して現実味を帯びていた。

この世が夢ならば、では現実はどこにあるのだろう。きっとそれはあの世、この世と紙一重の場所。幕が下りた劇場の客席と舞台の関係みたいに、すぐそばにあるのは感じるけれど目には入らない所にあるのだろう。

ともあれこの世はイリュージョン。でもぼくはこれを現実だと受け止めて生きていくつもりだ。そして、苦しんだり悩んだりすることを必要以上には拒絶しない。それらは、ここで喜んだり楽しんだりするためには必要なことだからだ。だけれどあまりに深刻になりそうなときは、思い出してみようと思う。この世はゆめまぼろしなんだと。

 


最後の着岸が近づいてきた。きたかみは苫小牧港に向かって北上する。ぼくらは下船の準備を行う。オオタニさんは忘れ物がないか、まるでマルサみたいにベッドの下から部屋の隅々、冷蔵庫の中身までチェックする。のどごし生、はもう入っていない。

慣れた手つきで、でも几帳面にTシャツを畳みながらオオタニさんは、知り合いによく出資しているという話をする。

「焼肉屋やりたいから2000万、とか言うから金出してやらせてあげたりしてもね、結局なかなかうまくいかないんだよね。回収できない。」

それを聞いて、ぼくは300万円で良いから自分もと考えた。自分なら利益を出せると思った。最後に彼がこんな話をするのは、ぼくが独立したい自営をしたいということを航海中に漏らしていたからだろうか。

「オカに上がったら、ススキノのバーに飲みに行こう」

オオタニさんはそう誘ってくれたものの、とりあえず直近は前から言ってた通り、マイアミにバカンスに行くということらしく気もそぞろだった。

ぼくもぼくで誘いに乗ってみた割に、オオタニさんとこれ以上近づくことにためらいがあった。もし今後彼と交友を重ねることを望むとすれば、その目的の半分以上が金目的なのじゃないかと自分を勘ぐった。一緒に居て心地悪いわけじゃないし、決して悪い人じゃないが、毛色が違う。

 


エンジンのピストンのストロークが段々と小さくなってくる。うなり音と振動がフェードアウトしていく。下船だ。祭りから日常に戻されるような侘しさがあった。

接岸を前に、いつもの錆びと油にまみれた甲板に出る。陸からの風を微かに感じる。夏の終わりを感じさせるにおいを嗅ぎ、またひとつ季節が終わってしまったと少し感傷っぽくなった。次に来る夏の頃には、どこにいていったい何をしているのだろう。全く想像がつかなかったが、客としてこの船にもどってくるのも悪くないなと思った。

このチャーミングでたくましい、おもちゃの船のような、きたかみに。

カモメたちが目の前を横切り水面へ下って行き、この夢の幕を引いた。

おわりに

最後まで読んでくれてありがとうございます。自分が言いたかったこと、自分がどのような人間なのかということ、少しでも感じてもらえたなら幸いです。

あれから7年くらい経ちました。人生は元来真っ白なキャンバスのように無垢で、意味がなく、そこにどんな絵の具でどんな画を描いても自由で。

「お前なんだそのへんな絵は」と言われようが言われまいが、ひたすら自分の絵を描き続けることだけが、幸せへの道なんだ、自由への道なんだという確信が深まっています。

では、また。

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