そこにただ咲いてたもの

「誤解というものはなく、考え方の違いがあるだけだ」

先日読んだ村上春樹の小説の主人公が、こう述べていた。

そうだ。

あの娘とぼくの間には、ただ単に考え方の違いがあっただけだったかもしれない。

 

喧嘩するにつけお互い話し合って、意見を述べ合うと、ほとんど必ずぼくの方の分が悪くなった。

「君はぼくを誤解している、なぜ君はわかってくれないんだ?こんなにも君の事を大切に思っているのに、何で?」

 

そこにはほんとうに真剣な切実な想いがあったけれど、真摯に向き合い、話せば話すほど二人の距離は離れていき、事態は深刻になっていった。だが平和を、そして安らぎを二人とも望んでいたのは明らかだった。

でも、その平和や安らぎに対するアプローチの違い、そして考え方の違い、「それが単なる違い」であることを意識せずにいくら話し合っても、その話し合いは火に油を注ぎ状況を悪化させるだけだった。

 

考え方の違いであることを理解できないこと。そこに誤解という甘えのようなものが侵入してくる隙間が生まれる。

わかってくれないのは、相手が悪いからだと考え出す。

 

花が一輪一輪、咲き方が違うように、考え方も人それぞれなのだ。

 

考え方が違うことを認める、今ではそんなことなら、さよならを言うよりも100倍簡単なことのように思える。

けれど当時は難しく、そしてまるで感情的であることが正義であるかのように振舞っていた。そしてぼくは、その今では100倍簡単なことに思えることにすら踏み出せないほど、消耗していた。

 

あの日、ぼくらはさよならも言えずに別れたのだった。

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