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タロットとパンツ

信じるというのは、面白い言葉ですね。

疑いの余地がないと「信じる」という言葉は使わない。

タロットを信じる とは言うけれど

パンツを信じる とは言いませんね

 

ま、有時の場合は心の中で言うかもしれませんが。

「おれはパンツの能力を信じる!」

どういう有事やねん。

 


(信じるの使用法)

愛を信じる 神を信じる 能力を信じる パートナーを信じる

あやふやなものカタチのないものに対してや、対象が疑わしくなったときに使いますね。

 

あと何かヤバくなってきた時、テンパってきたときに、いよいよ使うっていうのもあるし。

自分を信じるしかない!なんてけっこうヤバい状況よね。

 


この世は二元性の世界だから、信じるには疑わないといけない。

信ずるというエネルギーが発動するためには、必ずいったん疑いのほうに振り子がふれないといかんのですよ。

 

それがないのに人とか信じてるというのは、それは盲目的ということになるんじゃないか。

何かを本当に信じるためには、何かを疑わないと始まらない。

 


だから、自信がなくって自信をつけたい人なんかは、とことん自分を疑うことから始めるといい。

彼氏を信じたいんだったら、どんどん疑ったらいい。

 

マザーテレサなんて、最後まで神を疑ってたからね。

それがさ、神への献身のエネルギーになったんだから。

(でも、オレのことは疑わないでください。)

 


総じて申し上げると

信じるとは、あやふやなものに捧げる祈りと言ってもいいでしょう。

信じさせてください、という願い。

 

けっきょく信じる信じないなんて、自分で決められるもんでもないというか。

そういう神聖なものでもある。

 

愛も神もパートナーも自分も、あやふやだからこそ神聖で。

想いがブレたら祈る、信じさせてくれと。

 

そういう対象であればいいよね。

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