願い

スリランカから、仏教徒の知人が来日。

先日は、おもてなしがてら法隆寺にご一緒しました。

 

五重塔なんかもそれなりに良かったのですが、金堂の仏像の前に来た途端ひしひしと感じ入るものがあり、地蔵のように足がとまりました。

ちょっとこれはさすがのわしも、ヘラヘラできない感じのメッセージが伝わってきました。

 


真剣なんです。仏像に込められた願いが。

苦悩がなくなりますように、願い事が叶いますように、幸せでありますように。

そう込められた願いがビシビシ伝わってくるんです。

 

人の苦悩の大きなもとは古今東西、生老病死なんだと。

それに大きな変わりはない。千三百年も経ったのにお前たち何やってるんだ、サグラダ・ファミリアか?と先人たちが言ってるんですよ。

 


宗教だったんですよね。当時は苦悩からの解放の願いを託せる存在が、宗教だった。

それがいつの間にか、仏像を拝むことをやめ、ブラウン管やビルディングや札束を拝むようになり、科学と経済は宗教の代わりとなった。

 

だけれど科学と経済では結局、人は救われなかった。

そして人は拗ねた。

 

宗教なんて。

科学なんて。

お金なんて。

 

拗ねて、かつ願いを託せるものを見つけられずにいるというキツい状況。

でも多分もうそういうのは、出てこない。マスでは。

 

ただあえて言えば自分。それ、そういうの。

救世主は自分でありえるよね、これからの時代。

 

言いたかないけれどそれが、スピリチュアルブームの側面。

 


ところで。

あの仏像の中に込められたような真摯さって、憧れます。

まるで今の高校生が、昭和歌謡曲に憧れるみたいなニュアンスで。

 

何もかもがカジュアルになった時代には、あのガチさはもう出てこないし、もう要らないものなのかもしれない。

ちょっと、そんなことを考えました。

 

だけれども。やっぱり。

仏像見たら。要ると思う。

 

自分もサグラダ・ファミリアのようなこの宗教芸術を引き継いで生き永らえている、和人の端くれであり。

先人の願いを汲み取りつつ、それに取り組んでもいいのじゃないかとも思いました。

 

あなたが幸せでいるというのは、あなただけのことではなく。

それは先人たちがあなたに託した願い、でもあるんすよ。

 

なんか最後GLAYの歌詞みたいになったな。

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