さくらつれづれ

そろそろ桜の季節なのですが。桜の花なんか好きこのんで見てたまるかっていう、へそ曲がりなところもある。

兼好法師の影響なんだろうけれど。

 

徒然草ってさ、無常観をベースにして、でもそれでも変化を受け入れられずにしがみつく世間の人達に対してディスってばかりだよね。

「見苦しい」「みっともない」「無粋だ」っていうのが多いよね。

 


「桜の花は満開のときばかり、月は満月ばかりを見るものか? いやそうではない。」

っていうところがたまらなく好き。普段の桜には目もくれずに、満開の時だけ綺麗だね、って、そういうの、浅はかだと。

 

ホリスティックに見ようぜ。

 

っていう。点じゃなくて線で見ようぜ、っていう。

 


人の生だっていつも満開なわけじゃ無いじゃん。それよかさ、じっと不遇に耐えてる、みたいな時期が多いわけ。その不遇の時期をさ、不幸だ不運だなんだって、卑下してもしょうがないっていうことでもある。春が来るには冬は必要なんだよ。

満開の時期じゃなくって、咲いていない時期とかさ、耐えてる時期を愛でなくっちゃ。賞賛に値するからさ、咲いていない時期の人の声こそ拾いたい、と思うもん。

 

尾崎豊も「街の風景」で同じようなこと言ってたね、「アスファルトに耳をあて、雑踏の下埋もれてる、歌を見つけ出したい」ってね。

咲いててもいいし、咲いてなくてもいい、っての。

 


咲いてる桜ばかり愛でたら、咲いていない時期の桜に悪いな、って思っちゃうもん。もちろん咲いててもいいんだけど、なんだかなあ。

兼好さんもかなりのへそ曲がりだよなあ、大変だったのかもな、と想いをあの時代にはせつつ、咲いてない桜を肴に一杯お酒でも酌み交わしたい気分なのであります。

 

だけど意中の女の子に花見誘われたら、しっぽふって行く。行くよね。

 

ごめん兼好。

 

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